信濃川あひるの "Don't be cruel" 〜冷たくしないで

信濃川あひるが「およそ1000文字」で思いを綴ります。

1995年のサニーデイ・サービスとNG3

忘れないうちに音楽トピックを。ほんの本日に入手したCDです。

僕は音楽が好きなのと『I guess everything reminds you of something. ー 何を見ても何かを思い出す』のイズムを隔世遺伝で受け継いでいるので、今回も1枚のCDからそうなっちゃいました。これ、元はミズモトアキラさん、誠光社の堀部さんがうまく取り挙げていたので自分にフィットした言葉です。ヘミングウェイは読んだことがありません。


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『the magic garden of sweet NG3 music / N.G.THREE(ミディ・クリエイティブ/HAWAII)』1995年7月20日発売。

新井仁(僕たち世代だとNORTHERN BRIGHTと言ったほうがわかりやすいかも)率いるスリーピースバンドのアルバムです。この作品の存在は知ってましたが売ってるのを初めてみました。というか、NG3のCD自体もほとんど見たことがありません。脱線3やGREAT3はよく見るのに。プロデュースは新井仁の大学の後輩で盟友の曽我部恵一!この場合は文章の勢いのためと、いちファンなので個人名とはいえマナーとして呼び捨てです。

そういえば、バンド名に「さん」をつけるのも違和感ありますね。「スピッツさん」も変だけど「ミスチルさん」みたいに略称に「さん」など。あと「ユーミンさん」なんて。距離を縮めたいのか、置きたいのかどっちだよ!なんちゃって。シャレです。あと新潟のアイドルグループRYUTistは「さん付け」を行儀の良さ&持ちネタとしてました。

1995年は4月21日にサニーデイの現体制での実質デビュー作『若者たち』がリリースされているので、おそらく同時期に制作していると思われます。しかしこちらはなんと全曲モノミックスで、60〜70年代を思わせるガレージ感あふれるポップス寄りなロックです。『若者たち』が70年代の日本のロックを目指していたのですから、まさに島国から見て内と外の関係です。ドライorウエット。メロディorノベルティなどなど。

または、初期サニーデイが"まだ"やってなかった/もしくは"やるかも"しれなかった音楽性。

はたまた考えようによっては、大瀧詠一の*初期ナイアガラレーベル構想の『ナイアガラムーン』とシュガーベイブ『SONGS』の関係に近いとか?

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*初期ナイアガラレーベル構想のざっくりとした説明:1972年末にはっぴいえんど("はっぴぃ"ではないので少し注意!)を解散した大瀧詠一は、1973年からCM音楽を製作し始めた。それらの音源を集めたレコードを発売するため1974年に日本ではほぼ初となるレコードレーベル『ナイアガラ』を立ち上げる。レーベルオーナー/プロデューサーと名乗る日本人音楽家もまた、当時としては珍しかった。オーナーであるからには、他にもアーティストを擁する必要があり、音楽性から目をつけたのが山下達郎大貫妙子が所属して頭『シュガーベイブ』と、伊藤銀次が率いる『ごまのはえ』だった。しかし、レコードをリリースすることなくごまのはえは解散。ナイアガラの1枚目はシュガーベイブの『SONGS(1975)』となった。いずれもメロディが優れたバンドだったため、大瀧は歌詞やメロディは二の次にした、楽器やリズムがカラッと弾むノベルティな音楽性を選んだ。それが『NIAGARA MOON(1975)』である。しかし翌年、1976年にシュガーベイブは解散。オーナーだった大瀧詠一"ひとり"のレーベルとなった。陰日向に咲く。つづく…

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さて、それはさておき(本当にね!反省してよ!)N.G.THREEというバンド名の由来が「演奏が下手だったから(新井さん談)」と読んだことがあります。そこまでとは思いませんが、スカッとした演奏がこの盤でのモノミックスは芯を食っていてバッチリ合ってます。2019年の耳でも、いつ録音したのか一聴ではわからない感じ。

とにかく曽我部さんの若くして全体を見渡すような先見の明と、プロデューサー的視点にびっくりしました!というお話。