信濃川あひるの "Don't be cruel" 〜冷たくしないで

信濃川あひるが「およそ1000文字」で思いを綴ります。

旅と旅行 その4(今度こそ・三重県亀山市びっくりや)

(前回までのあらすじ)
13年半務めた会社を退職し、お金は無いが時間だけはたっぷりある状態の僕は、以前からの目標を達成すべく、車での旅行に出発した。

新潟からひとつめの目的地、長野県は諏訪湖のほとりにある『民宿あひる』はとっても素敵だった。僕は湖畔に泊まるのが好きだ。なんていうか、眠っているうちに水のように透明な心(©︎松本隆)になる気がして。または、もし夜に嵐になったならば、ジャックスのマリアンヌの世界みたいで耽美的である。一晩経って、あひる主人(ゲンセンカン主人みたい)は姿を現さなかった。というか、前日のチェックインの段階で「夜と朝は無人になるから、部屋の鍵だけ忘れずに置いてって〜」とのことだったので、驚きはしなかったけど。

次なる目的地『びっくりや』は三重県亀山市にある。前回、お笑いについて書いたところで勢い余って文字数の限界(自分のさじ加減ひとつでは?)が来てしまい、尻切れとんぼになっちゃったけど、要するに1994年・小学6年生の僕は、ダウンタウンの次なる笑いの震源地として、GAHAHAキングで見た爆笑問題フォークダンスDE成子坂(以下、フォークダンス)を好きになった。実は爆笑問題はこの時が2度目のブレイクで、以前の太田プロ太田光さんとは無関係、念のため)を辞めてしかも『タイタン』という個人事務所を立ち上げちゃったもんだから、バッチリ2年間テレビに出れない状態を経て、若手に混じっての再挑戦だったのだ。

いやーでも当時はほんと笑いました。太田さんのボケもさることながら、やっぱウーチャカ田中裕二の学生時代のニックネーム、当初は"うーくん"でその後ウーパン→ウーチャカとなった。ファンは今でも田中さんをこう呼ぶ)のツッコミが冴えてたね。1994年は、今では考えられないけど関東勢のネタではツッコミが「なかった」んです。なかったわけじゃないんだけど「よしなさい」とか「おいおい」くらいだったんだよ。すごくない?昭和の演芸か?それが、ウーチャカの登場で「なんでだよ!」「意味わかんねーよ!」「なわけねーだろ!」など。今では日常会話で使うレベルのフレーズがスタンダードになりました。未確認だけど、当時バカルディの三村のツッコミには「いや、ちょっとなんなんすか」くらいの感じはあったらしいけど。

で、GAHAHAの初代チャンピオンは若手に混じった中堅コンビの爆笑問題で、2代目としては本当にフレッシュな若手としてフォークダンスが登場した。バカルディと同じホリプロです。フォークダンスのネタは、僕が『ダウンタウンのごっつええ感じ』で最も見たい部分だった感覚の笑いを、とても飄々と演じて見せてくれた。見るからに天才で姿形のカッコいいボケの桶田さんと、少し田舎くさくてキュートな見た目の渚さんの人懐っこいツッコミからは、新しい時代の笑いを感じた。

1994年当時の松っちゃんの記憶がある方は思い出してほしいのですが「真顔で感覚的なフレーズを言う。しかも自分のボケの後に絶対に笑わないカッコよさ」がありましたよね。後々に、なぜかそのイズムは堂本剛にだけ引き継がれてましたが。今のゲラの松っちゃんからは考えられないでしょ?坊主にしてからもしばらくはこのモードだったんだけどな〜ちょっと顔がふっくらしてから変わったのかもね。

で、そんな1994年の松っちゃんのクールさと、ウーチャカのツッコミの鋭さ(しかも渚さんのツッコミは感情がこもっているから笑える)を兼ね備えており、しかも若い。これはダウンタウンの次はこのコンビだよな〜!と思っていた矢先に失速→なんだかんだボキャブラにも出ていたけど本領を発揮できずに1999年に解散してしまった。そして2006年にはツッコミの渚さんが亡くなってしまったのです。これ、ほんと自分で書いてて未だに泣きたくなるよ。

そして、1999年からほとんど表舞台に姿を現さなかった桶田さんは、2017年の年末から1年半をかけてフォークダンスの結成→ブレイク→失速→解散までをお話しするポッドキャストをやって、先日ようやく完結したところなので、もし気になる方がいたら調べて聴いてみてください。

さて、またまた文字数が来てしまいました……そんな敬愛するフォークダンスのお二人の出身地が三重県亀山市で、桶田さんや地元民のソウルフードとも言えるのが『びっくりや』なのです。次回はやっとそのことが書けそうです。よろしくお願いします。