信濃川あひるの "Don't be cruel" 〜冷たくしないで

信濃川あひるが「およそ1000文字」で思いを綴ります。

旅と旅行 その3(三重県亀山市びっくりや)

僕は「音楽とアート」が好きです。さらにその根底を太いボトムのように支えているのが「笑い(ユーモア)」が好きだという気持ちです。音楽もアートもどこかに直接的でも間接的でも良いけれど、笑いの要素を感じ取れるものが好みのようです。

感情にはいくつか種類があり、どんなに心が忙しい時(なんだかソフトな言い方だね)にも、笑いがうまく入ってくると心が一瞬でも楽しい気持ちでいっぱいになります。笑いはそれほどまでに相手の感情を一気に変えるものです。もしも笑いが(もしも明日が… / わらべ)相手の気持ちをポジティブ側に動かしたならば、送り手と受け手の間に上質なコミュニケーションが成立している証拠なのではないかと考えています。表現の送り手は、心に無邪気さと大きな余裕があったほうが自分の世界を届ける力も大きくなるでしょうから、顔で笑って心で泣いてじゃないけれど、そんな笑いを届けるために日夜しのぎを削っている人々を僕は尊敬しています。(しかし、女の子を3人集めて『わらべ』と名付けるセンス!すいません…続きます)

1982年生まれの僕は、保育園の頃は『カトちゃんケンちゃん』よりも後期の『ひょうきん族』を好んでいました。当時のフジテレビのお家芸であった楽屋ネタが多めの世界です。本来は裏方であり、テレビでは映らない人たちを笑うわけですから、僕の世代は割と幼い頃からテレビでメタフィクションを楽しんできたことになります。後の時代のインターネット掲示板による「世の中のすべてを知りたい」類の願望をはじめから余裕を持ってメディアが遊びとして取り入れていたわけです。

その後も1992年くらいまでは『とんねるずのみなさんのおかげです』『ウッチャンナンチャンやるならやらねば』を見ていました。この時代まではテレビの主要な時間帯のバラエティで、パロディとファンタジ〜の笑いを展開していたと記憶しています。そんな楽しいテレビライフを送っていた僕に新たな衝撃を走らせたのは『ダウンタウンのごっつええ感じ』でした。

前述のとおりフジテレビびいきだった僕ですから、日曜のゴールデンタイムということもあり何度か目にはしていたのですが、当時は下ネタと暴力がキツめで、子供ながらにこれを笑うのは早いな〜と敬遠(子供なんだから、すなよ)していたのです。しかし番組は1993年頃から徐々にいわゆるシュール系の感覚とセンスで笑わせる時代に入りました。

おそらく構成作家三木聡(当時のシティーボーイズ看板作家)や倉本美津留木村祐一あたりが加わって松っちゃんの発想力を増幅させたり、それ以外のプライベートにおける、時代が許せたぶっとんだヤンチャ経験(詳しくは知りませんが)の賜物である気がします。そんなわけで、それらはパロディだけではなく0から100を生み出しているように見え、しかも古い価値観をぶっ壊すような感覚を持っており、僕はダウンタウンの笑いの虜になったのでした。

1993年といえば、感覚的な笑いのシティボーイズの舞台も、漫画でいうと吉田戦車の(感染るんですも。』一時的なピークを超えた頃だろうから、ようやく満を持してテレビにもこれらの感覚が持ち込まれたのだと思います。また、これも後にわかったことですが、松っちゃんはかつて、いがらしみきおの『かかってきなさいっ』の、木村祐一榎本俊二の『GOLDEN LUCKEY』の愛読者だったこともわかっています(いずれも感覚的笑いの4コマ漫画)。テレビよりも漫画の笑いが"早かった"時代があったのは胸が熱いです。これはまたいつか書きます。

とにかく、ダウンタウンにこういう経験をした者なので、最近の世の評価(嫌いな芸人1位😢)は普通にびっくりしてしまいました。たとえば、音楽家であればヒット曲を出した後に何かしらでイメージが悪くなったとて、作品は割と単体で評価しても良いのではないか?という考え方が通っています。また、作品が素晴らしいものであれば、極端な話、表現者が人間的にオカシイ人でも僕は平気です。しかし、お笑い・俳優陣・アイドルなどは、テレビや映画のメディアにおいて人間の見た目そのもので表現を行なっているため、いくら作品を介しているとはいえ、いったんイメージが損なわれると、過去の楽しませてもらった作品に対する気持ちでさえも「なぜか」自粛を余儀なくされる気がします。

その点で、歌舞伎役者とか落語家などの舞台(ライブ)を楽しまれている人にそれほど影響がなかったりするあたりに、実はマスメディアでの人気は階層が何層にも別れており、バブル的人気の票を支えている人に対して、その人気の「あわ」が破裂した時、一気に「落ち目」に引っ張り込もうとさせる力も持ち合わせていることがわかります。人気はあるんだけど、ファン層が見えない人っていますよね。

1993年に『ごっつええ感じ』で新しい笑いに貪欲になった中学生の僕は、次なる新しい刺激を求めて若手のお笑いコンテスト番組に目が向きます。それが1994年に『GAHAHAキング』で目にした爆笑問題と、フォークダンスDE成子坂です。爆笑問題が実はこの時に「二周目」だったことを知るのはもう少し先になります。。

わっ!前置きだけで1000文字を越えちゃったので、今回はここまでです。次回はびっくりやに到着できますように。(北風〜君にとどきますように)←すいません、何を見ても何かを思い出しちゃうんです。これもシレッと続けます。