信濃川あひるの "Don't be cruel" 〜冷たくしないで

信濃川あひるが「およそ1000文字」で思いを綴ります。

三重県亀山市『びっくりや』

会話の中でおもしろワード・キラーワードとして機能することを意図して放たれる言葉に、すでに賞味期限切れなものってありますね。たとえば「口の中の水分ぜんぶ持ってかれる〜」とか言われても、もう心踊らないですよね。

最近ではそこに「トリッキー」が加わってる気がします。僕はどうしても使いたいときは、なるべく「テクニカルな〜」とか別な言い方で使い分けたいです。

さて今回は"あの"フォークダンスDE成子坂の桶田さんのソウルフード、目的地❷の三重県亀山市の『びっくりや』というローカル・大衆・焼肉店です。

(くわしくは前々回を参照)

https://washoko.hatenablog.com/entry/2019/02/06/000019


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外観はこんな見た目。日本列島は山と山の間に街が形成されていますが、初めて行った三重県は基本「山」ばかりでした。そんな山道を走っていると突然あります。夕暮れ迫る知らない土地で、かなり広々とした(荒涼な?)駐車スペースに大型車ばかり駐車してあるので、僕はすぐに店内を察しました。

 


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店内はこうです。焼肉店なので鉄板or網が選べます。非常に雑然としていますが、ほとんど全員がお酒を飲んでいて割と祝祭ムード(?)あふるるゴキゲンな空間です。しばらく席に案内されないのも予定通り。


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コンビニ系漫画の中に『トマキュラ』があるなよ。

*トマキュラ:2018年末に発売されたネット発のキャラクター系絵本。

 


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甘めの赤味噌ベースのタレに合わせた肉とキャベツを、何の工夫もない鉄板でジュウジュウ焼いたものをモグモグ食べます。あと、シメにさらに牛ホルモンと柔らかうどんを混ぜたものもスルスル食べました。ハッキリ言ってすべてうまいです!鉄板を選んで大正解!

 


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聞くところによると、お店は創業50年で、退店時に「なぜか」お客さんがお店のおじいさん(おじさんではない!)たちと写真を撮っていて愛されてるな~および、最後の別れなんて言葉が似合う場面だと思いました。しかし、床に余裕でキャベツが落ちてる。

おいそれと行ける場所ではありませんが、こういう後継者もいないであろう、ごく一部の人しか知らない楽しみに思い切って触れてみるのはどうです?(なせが落語家の弟子の口調で)

https://s.tabelog.com/mie/A2402/A240202/24004532/top_amp/

 

その後すぐに三重県を離れて、湖のほとりに泊まるのが好きな僕は、琵琶湖を眺めるホテルに宿泊しました。翌日は❸つめの目的地山口県です!

1995年のサニーデイ・サービスとNG3

忘れないうちに音楽トピックを。ほんの本日に入手したCDです。

僕は音楽が好きなのと『I guess everything reminds you of something. ー 何を見ても何かを思い出す』のイズムを隔世遺伝で受け継いでいるので、今回も1枚のCDからそうなっちゃいました。これ、元はミズモトアキラさん、誠光社の堀部さんがうまく取り挙げていたので自分にフィットした言葉です。ヘミングウェイは読んだことがありません。


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『the magic garden of sweet NG3 music / N.G.THREE(ミディ・クリエイティブ/HAWAII)』1995年7月20日発売。

新井仁(僕たち世代だとNORTHERN BRIGHTと言ったほうがわかりやすいかも)率いるスリーピースバンドのアルバムです。この作品の存在は知ってましたが売ってるのを初めてみました。というか、NG3のCD自体もほとんど見たことがありません。脱線3やGREAT3はよく見るのに。プロデュースは新井仁の大学の後輩で盟友の曽我部恵一!この場合は文章の勢いのためと、いちファンなので個人名とはいえマナーとして呼び捨てです。

そういえば、バンド名に「さん」をつけるのも違和感ありますね。「スピッツさん」も変だけど「ミスチルさん」みたいに略称に「さん」など。あと「ユーミンさん」なんて。距離を縮めたいのか、置きたいのかどっちだよ!なんちゃって。シャレです。あと新潟のアイドルグループRYUTistは「さん付け」を行儀の良さ&持ちネタとしてました。

1995年は4月21日にサニーデイの現体制での実質デビュー作『若者たち』がリリースされているので、おそらく同時期に制作していると思われます。しかしこちらはなんと全曲モノミックスで、60〜70年代を思わせるガレージ感あふれるポップス寄りなロックです。『若者たち』が70年代の日本のロックを目指していたのですから、まさに島国から見て内と外の関係です。ドライorウエット。メロディorノベルティなどなど。

または、初期サニーデイが"まだ"やってなかった/もしくは"やるかも"しれなかった音楽性。

はたまた考えようによっては、大瀧詠一の*初期ナイアガラレーベル構想の『ナイアガラムーン』とシュガーベイブ『SONGS』の関係に近いとか?

・・・・・・

*初期ナイアガラレーベル構想のざっくりとした説明:1972年末にはっぴいえんど("はっぴぃ"ではないので少し注意!)を解散した大瀧詠一は、1973年からCM音楽を製作し始めた。それらの音源を集めたレコードを発売するため1974年に日本ではほぼ初となるレコードレーベル『ナイアガラ』を立ち上げる。レーベルオーナー/プロデューサーと名乗る日本人音楽家もまた、当時としては珍しかった。オーナーであるからには、他にもアーティストを擁する必要があり、音楽性から目をつけたのが山下達郎大貫妙子が所属して頭『シュガーベイブ』と、伊藤銀次が率いる『ごまのはえ』だった。しかし、レコードをリリースすることなくごまのはえは解散。ナイアガラの1枚目はシュガーベイブの『SONGS(1975)』となった。いずれもメロディが優れたバンドだったため、大瀧は歌詞やメロディは二の次にした、楽器やリズムがカラッと弾むノベルティな音楽性を選んだ。それが『NIAGARA MOON(1975)』である。しかし翌年、1976年にシュガーベイブは解散。オーナーだった大瀧詠一"ひとり"のレーベルとなった。陰日向に咲く。つづく…

・・・・・・

さて、それはさておき(本当にね!反省してよ!)N.G.THREEというバンド名の由来が「演奏が下手だったから(新井さん談)」と読んだことがあります。そこまでとは思いませんが、スカッとした演奏がこの盤でのモノミックスは芯を食っていてバッチリ合ってます。2019年の耳でも、いつ録音したのか一聴ではわからない感じ。

とにかく曽我部さんの若くして全体を見渡すような先見の明と、プロデューサー的視点にびっくりしました!というお話。

長野県『わざわざ』〜『スーパーマーケット』(旅と旅行・改題)

では、気を取り直して。

文字は少なめ。改行多めでいきます。

諏訪湖のほとり『民宿あひる』を9時過ぎに出発して、フォークダンス(前回参照)の出身地・三重県亀山市へ向かいます。でもその前に、友達から教えてもらった長野県東御市にある『パンと生活用品の店 わざわざ』へ行きました。


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こんな感じ。

11時の開店を待って、焼きたてのパンと、ちょっとしたグラスなどを買いました。その筋では有名なお店で、生活用品は店主の女性 平田さんによってセレクトされたものです。いわゆる生活系なんですが、店内のレイアウトが整然としつつ、品数多めで好感が持てました。お店の様子についてはHPを見てみると良いです。

http://waza2.com/

性別は関係ないのですが、こういうお店の男性店主版って本当にないよね。あればいいのにね。長野県は清潔感があって好きだし、また行きたいと思えるお店でした。

 

次に、僕の旅先での楽しみ。

長野の山奥にあるローカル・スーパーマーケットへ向かいます。寄り道ばっかりですね。人生かな?

そしてここでの楽しみは『地元パン』『牛乳』『豆腐』のチェックです。これらは消費期限が早く、また単価が安いため、無理に遠くへ出荷するほどのものではありません。そのため、その土地によってラインナップが違って楽しいのです。


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今回なんの気なしに訪問したスーパーは、妙に通路が広々していて不思議と未来的でした。山奥に突如現れた宇宙船のようでもありました。聞くところによると、長野県はUFOの目撃情報が多いことでも有名らしいですよ🛸(冗談です)


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地元の人からしたら当たり前の景色も、旅行者から見たら新鮮に映る。これも旅行の醍醐味と言えるでしょう。

 

こんなことをやりつつ、わざわざの食パン・カンパーニュ(めちゃくちゃうまい)をかじりながら車は走ります。長野から三重に到着しました。区間の移動は高速道路でした。新潟に住んでいると、せいぜい移動は新潟〜東京間で、そんなに高低差のない高速道を走ることが当たり前なのですが、本来の高速道は都市部や平野部ではなく、山と山を切り抜けて作られたものであることがよーくわかりました。というか、県境だったり、日本列島自体が山でできてるんですね。

いつもの範囲より遠出することで、それにつられて視野が広くなった気がしました。この頃から、現状の心配ごとを気にせず、しかも未来への不安も希望と思えるのではないか?と肝が座ってきた感覚がありました。

 

次回!

いよいよ『びっくりや』のことを書けそうです。

旅と旅行 その4(今度こそ・三重県亀山市びっくりや)

(前回までのあらすじ)
13年半務めた会社を退職し、お金は無いが時間だけはたっぷりある状態の僕は、以前からの目標を達成すべく、車での旅行に出発した。

新潟からひとつめの目的地、長野県は諏訪湖のほとりにある『民宿あひる』はとっても素敵だった。僕は湖畔に泊まるのが好きだ。なんていうか、眠っているうちに水のように透明な心(©︎松本隆)になる気がして。または、もし夜に嵐になったならば、ジャックスのマリアンヌの世界みたいで耽美的である。一晩経って、あひる主人(ゲンセンカン主人みたい)は姿を現さなかった。というか、前日のチェックインの段階で「夜と朝は無人になるから、部屋の鍵だけ忘れずに置いてって〜」とのことだったので、驚きはしなかったけど。

次なる目的地『びっくりや』は三重県亀山市にある。前回、お笑いについて書いたところで勢い余って文字数の限界(自分のさじ加減ひとつでは?)が来てしまい、尻切れとんぼになっちゃったけど、要するに1994年・小学6年生の僕は、ダウンタウンの次なる笑いの震源地として、GAHAHAキングで見た爆笑問題フォークダンスDE成子坂(以下、フォークダンス)を好きになった。実は爆笑問題はこの時が2度目のブレイクで、以前の太田プロ太田光さんとは無関係、念のため)を辞めてしかも『タイタン』という個人事務所を立ち上げちゃったもんだから、バッチリ2年間テレビに出れない状態を経て、若手に混じっての再挑戦だったのだ。

いやーでも当時はほんと笑いました。太田さんのボケもさることながら、やっぱウーチャカ田中裕二の学生時代のニックネーム、当初は"うーくん"でその後ウーパン→ウーチャカとなった。ファンは今でも田中さんをこう呼ぶ)のツッコミが冴えてたね。1994年は、今では考えられないけど関東勢のネタではツッコミが「なかった」んです。なかったわけじゃないんだけど「よしなさい」とか「おいおい」くらいだったんだよ。すごくない?昭和の演芸か?それが、ウーチャカの登場で「なんでだよ!」「意味わかんねーよ!」「なわけねーだろ!」など。今では日常会話で使うレベルのフレーズがスタンダードになりました。未確認だけど、当時バカルディの三村のツッコミには「いや、ちょっとなんなんすか」くらいの感じはあったらしいけど。

で、GAHAHAの初代チャンピオンは若手に混じった中堅コンビの爆笑問題で、2代目としては本当にフレッシュな若手としてフォークダンスが登場した。バカルディと同じホリプロです。フォークダンスのネタは、僕が『ダウンタウンのごっつええ感じ』で最も見たい部分だった感覚の笑いを、とても飄々と演じて見せてくれた。見るからに天才で姿形のカッコいいボケの桶田さんと、少し田舎くさくてキュートな見た目の渚さんの人懐っこいツッコミからは、新しい時代の笑いを感じた。

1994年当時の松っちゃんの記憶がある方は思い出してほしいのですが「真顔で感覚的なフレーズを言う。しかも自分のボケの後に絶対に笑わないカッコよさ」がありましたよね。後々に、なぜかそのイズムは堂本剛にだけ引き継がれてましたが。今のゲラの松っちゃんからは考えられないでしょ?坊主にしてからもしばらくはこのモードだったんだけどな〜ちょっと顔がふっくらしてから変わったのかもね。

で、そんな1994年の松っちゃんのクールさと、ウーチャカのツッコミの鋭さ(しかも渚さんのツッコミは感情がこもっているから笑える)を兼ね備えており、しかも若い。これはダウンタウンの次はこのコンビだよな〜!と思っていた矢先に失速→なんだかんだボキャブラにも出ていたけど本領を発揮できずに1999年に解散してしまった。そして2006年にはツッコミの渚さんが亡くなってしまったのです。これ、ほんと自分で書いてて未だに泣きたくなるよ。

そして、1999年からほとんど表舞台に姿を現さなかった桶田さんは、2017年の年末から1年半をかけてフォークダンスの結成→ブレイク→失速→解散までをお話しするポッドキャストをやって、先日ようやく完結したところなので、もし気になる方がいたら調べて聴いてみてください。

さて、またまた文字数が来てしまいました……そんな敬愛するフォークダンスのお二人の出身地が三重県亀山市で、桶田さんや地元民のソウルフードとも言えるのが『びっくりや』なのです。次回はやっとそのことが書けそうです。よろしくお願いします。

旅と旅行 その3(三重県亀山市びっくりや)

僕は「音楽とアート」が好きです。さらにその根底を太いボトムのように支えているのが「笑い(ユーモア)」が好きだという気持ちです。音楽もアートもどこかに直接的でも間接的でも良いけれど、笑いの要素を感じ取れるものが好みのようです。

感情にはいくつか種類があり、どんなに心が忙しい時(なんだかソフトな言い方だね)にも、笑いがうまく入ってくると心が一瞬でも楽しい気持ちでいっぱいになります。笑いはそれほどまでに相手の感情を一気に変えるものです。もしも笑いが(もしも明日が… / わらべ)相手の気持ちをポジティブ側に動かしたならば、送り手と受け手の間に上質なコミュニケーションが成立している証拠なのではないかと考えています。表現の送り手は、心に無邪気さと大きな余裕があったほうが自分の世界を届ける力も大きくなるでしょうから、顔で笑って心で泣いてじゃないけれど、そんな笑いを届けるために日夜しのぎを削っている人々を僕は尊敬しています。(しかし、女の子を3人集めて『わらべ』と名付けるセンス!すいません…続きます)

1982年生まれの僕は、保育園の頃は『カトちゃんケンちゃん』よりも後期の『ひょうきん族』を好んでいました。当時のフジテレビのお家芸であった楽屋ネタが多めの世界です。本来は裏方であり、テレビでは映らない人たちを笑うわけですから、僕の世代は割と幼い頃からテレビでメタフィクションを楽しんできたことになります。後の時代のインターネット掲示板による「世の中のすべてを知りたい」類の願望をはじめから余裕を持ってメディアが遊びとして取り入れていたわけです。

その後も1992年くらいまでは『とんねるずのみなさんのおかげです』『ウッチャンナンチャンやるならやらねば』を見ていました。この時代まではテレビの主要な時間帯のバラエティで、パロディとファンタジ〜の笑いを展開していたと記憶しています。そんな楽しいテレビライフを送っていた僕に新たな衝撃を走らせたのは『ダウンタウンのごっつええ感じ』でした。

前述のとおりフジテレビびいきだった僕ですから、日曜のゴールデンタイムということもあり何度か目にはしていたのですが、当時は下ネタと暴力がキツめで、子供ながらにこれを笑うのは早いな〜と敬遠(子供なんだから、すなよ)していたのです。しかし番組は1993年頃から徐々にいわゆるシュール系の感覚とセンスで笑わせる時代に入りました。

おそらく構成作家三木聡(当時のシティーボーイズ看板作家)や倉本美津留木村祐一あたりが加わって松っちゃんの発想力を増幅させたり、それ以外のプライベートにおける、時代が許せたぶっとんだヤンチャ経験(詳しくは知りませんが)の賜物である気がします。そんなわけで、それらはパロディだけではなく0から100を生み出しているように見え、しかも古い価値観をぶっ壊すような感覚を持っており、僕はダウンタウンの笑いの虜になったのでした。

1993年といえば、感覚的な笑いのシティボーイズの舞台も、漫画でいうと吉田戦車の(感染るんですも。』一時的なピークを超えた頃だろうから、ようやく満を持してテレビにもこれらの感覚が持ち込まれたのだと思います。また、これも後にわかったことですが、松っちゃんはかつて、いがらしみきおの『かかってきなさいっ』の、木村祐一榎本俊二の『GOLDEN LUCKEY』の愛読者だったこともわかっています(いずれも感覚的笑いの4コマ漫画)。テレビよりも漫画の笑いが"早かった"時代があったのは胸が熱いです。これはまたいつか書きます。

とにかく、ダウンタウンにこういう経験をした者なので、最近の世の評価(嫌いな芸人1位😢)は普通にびっくりしてしまいました。たとえば、音楽家であればヒット曲を出した後に何かしらでイメージが悪くなったとて、作品は割と単体で評価しても良いのではないか?という考え方が通っています。また、作品が素晴らしいものであれば、極端な話、表現者が人間的にオカシイ人でも僕は平気です。しかし、お笑い・俳優陣・アイドルなどは、テレビや映画のメディアにおいて人間の見た目そのもので表現を行なっているため、いくら作品を介しているとはいえ、いったんイメージが損なわれると、過去の楽しませてもらった作品に対する気持ちでさえも「なぜか」自粛を余儀なくされる気がします。

その点で、歌舞伎役者とか落語家などの舞台(ライブ)を楽しまれている人にそれほど影響がなかったりするあたりに、実はマスメディアでの人気は階層が何層にも別れており、バブル的人気の票を支えている人に対して、その人気の「あわ」が破裂した時、一気に「落ち目」に引っ張り込もうとさせる力も持ち合わせていることがわかります。人気はあるんだけど、ファン層が見えない人っていますよね。

1993年に『ごっつええ感じ』で新しい笑いに貪欲になった中学生の僕は、次なる新しい刺激を求めて若手のお笑いコンテスト番組に目が向きます。それが1994年に『GAHAHAキング』で目にした爆笑問題と、フォークダンスDE成子坂です。爆笑問題が実はこの時に「二周目」だったことを知るのはもう少し先になります。。

わっ!前置きだけで1000文字を越えちゃったので、今回はここまでです。次回はびっくりやに到着できますように。(北風〜君にとどきますように)←すいません、何を見ても何かを思い出しちゃうんです。これもシレッと続けます。

旅と旅行 その2(民宿あひる)

前職の在職中からぼんやりずっと考えていた、新潟発・マイカーでの旅行計画。目的は3つ。

❶長野県『民宿あひる』に泊まる
三重県『びっくりや』へ行く
山口県『長沢ガーデン』に泊まる

これらを中継地点にして、さらに場所場所での細かい予定を組みつつ、偶然の出会いの入り込む余地も残して旅程を組みました。そういえば、県外の友人に"マイカー"という言葉を使いすぎて不思議がられたことがあります。だって地方だとみんな車を持っていて、出かけるときに誰の車を使うかどうかの駆け引きが重要なんですもの…

まず❶について、僕のペンネームは"信濃川あひる"と言います(名前だけでも覚えて帰ってください🎉)
これは、かの『マカロニほうれん荘』を生み出した"鴨川つばめ"先生をオールドスクールなリスペクト精神にのっとり文字ったものです。しかもなんと僕はマカロニ〜を読んだことないです。えへへ。
でもね、絵柄がオシャレでかわいくて好きなんです。しかも男性がかわいいを描くってのが最高に痛快だと思います。なぜかというと、一般的に男性は世の中的に「かわいい」必要が無いからです。世間に必要の無い方法で、世間に堂々と存在している。市民権を得ている。最高です!このように、ありきたりなロマンスではもの足りないのが僕なんです。

そんな僕ですから(どんな?)「あひる」と名のついた場所には"ゲン"を担いで足を運ぶことにしています。ただし「アヒル」や「ahiru」などの表記ゆれ、は除外します。水道橋にある謎の激安居酒屋の「あひる」がありますね。そのほかにもあなたの知ってるあひるがあったら教えてくださあい。
これまた余談ですが、一時期だけ「かわいい」を「可愛い」と表記してた頃がありましたが、意図的にやめてます。なぜかというと「愛」って字面が重いからです。よって、愛という名の人もちょっと重いんですよね。篠崎愛とか、はるな愛とか。。

さて、気を取り直して、新潟を朝の9時に出発した僕は、午後の3時頃には長野県は諏訪湖のほとりにある民宿あひるにチェックインしました。

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(ご主人の人柄が現れるテプラ)

到着後は湖畔を散歩したり、景色の写真を撮ったり、あとは何をするでもなく過ごしました。新潟は越後平野で育った僕ですが、それにしても長野の湖畔は空気が澄んでいます。そこそこ街道沿いのため車通りは多いのですが、排気ガスのにおいもほとんどしません。自然の持つ浄化作用が優っているんですね。あと、個人的な思い出として、長野県出身の女の人ってかなり好きなんですよね。

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(部屋からは諏訪湖が臨めます)

この日は平日ということもあり、貸切状態でした。お風呂も温泉です。もし興味のある方は行ってみてください。

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(水回りが清潔で嬉しかったです)

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(館内にはあひるグッズの数々。ご主人いわく「以前にあひるを飼っていて、そんなに好きではなかったがだんだんと愛着が湧いて好きになった」という理由から「あひる」と名付けたそうです)

 

次回は❷の『びっくりや』への道のりについて書いてみたいと思います。

旅と旅行 その1(出発編)

「旅」と言うと情緒たっぷりで素敵な感じがします。「旅立ち」なんて言葉は、人と人、男女の別れの時にも使われるような気もするし。とにかく人生の、ある重要な局面の時に使われることが多いです。やはり旅には帰路(岐路)がつきものなのでしょうか。

いっぽう「旅行」はなんだか一気に大衆的です。修学旅行、職場旅行、自治会の慰安旅行など。僕は大人になったから、熱海とか、別府、あと今だとベタに台湾なんかがいいね。

昨年末に新卒から13年半勤務した会社を退職しました。もちろん今後は転職して、自分にできる仕事をがんばるつもりです。でもその前に、今までやりたかったけどできなかったことをやろうと思いました。お金はないけど時間はある。ので、新潟からまったく行ったこともないし場所もよくわかってない山口県まで車で行ってきました。心の日本地図を広げたかったのです。今回はそのことを書きます。

そこで、まずはじめに悩んだのが、家族(僕は実家住まい)に何と言って出かけるかです。

「ちょっと1週間くらい旅に出てくるわ」

キザだね〜こんな言い方したら実にキザです。これは人によると思いますが、僕は家族の前でカッコつけたくないんです。それは、自身の言動から自分が成長したことをわかりやすく伝えることに対する照れがあるからです。それに往年の中村雅俊か?とか思われるかもしれません。冗談です。リズムで書いちゃいました。完全に無表情で(そのスピードで!)

そうそう、あと「自分探しの旅」とか使われますが、自分というのは「自己評価+他者の印象」からできています。その内訳は、自分としては「自80%+他20%」くらいであってほしいのですが、実際は逆の割合な気がします。となると、自分のことなんて普段いつも接してる人がいちばんよくわかってるはずなのです。

よく親戚のおばさんが「小さい頃オムツ変えてあげたのよ〜」なんて言いますが、物心がつく前なんて「他100%」ですから、まあまあ盛り返してきた方でしょ!ほめてよ。つまるところ、自分探しの旅とは、今までの自分を知らない人に第一印象だけで褒められるチャンスを得るのが目的だとわかります。表面的だね〜

そんなわけで(どんなわけ?)自分探しは関係ないとして、旅という言葉に懐疑的な僕ですから、家族には「ちょっと広島まで車で1週間"旅行"してくるね」と伝えました。本来の目的地である山口県では、どんな目的なんだよ…と心配かけるといけないので距離をサバ読んで広島にしました。広島にも行ったのだから嘘ではないんだけど、山口県のみなさんごめんなさい。

 

あと、長期の旅行となると着替えがそれなりに必要になります。今回は6泊7日でしたから、下着は最大で6日分(初日に身につけてるのは除く)必要になります。また、上着とズボンに関しては偶数日・奇数日で別のものを着たいので最低でも1セット、万が一のためには2セット必要です。

車の旅とはいえ、あまり大荷物を用意するのも億劫ですよね。そんな時、着替えを半分にして、旅程の半分ほどになったらコインランドリーを利用します。そして洗濯〜乾燥までのおよそ1時間、ご飯か何かを食べに行ってもいいんですが、せっかくなので地元民(最近は地元住民のことをこう言いますね)になりすまします。スマホを見るのもいいけど、ここは文庫本あたりを読むと、より地元民感が増します。備え付けの洗剤や、昔ながらの自販機で洗剤を買うのもいいですが、そのへん妙に潔癖症なのでコンビニでアタックNEOを買っちゃうんですよね、僕は。あと洗濯機に洗濯物を入れる前に要注意!知ってる人は知ってると思いますが、今は洗濯槽内洗浄機能というのが付いてます。前の人の洗濯機の使用感を少しでも消すためです。コインを投入してだいたい10秒以内に「洗濯槽内洗浄機能ボタン」を押すと30秒間キレイにしてくれるのです。これで年頃の娘さんも安心ですね。

こんなことを書いてたら出発する前に(まだ旅立ってもいないのに)1000文字を越えちゃったので、今回はここまで。

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(岡山にある、旅情を感じさせない、まるでアメリカンダイナーのようなコインランドリー)